2007年10月21日

武光誠の怪談学

書名:武光誠の怪談学〜日本人が生み出した怪異の正体とは
著者:武光 誠(明治学院大学教授)
出版:青春出版社
内容:鬼・怨霊・幽霊・化け猫・・・日本的精霊崇拝と怪談はい
  かに結びついたのか。その起源と系譜を、日本独自の神道的
  世界観をキーとし、平安貴族社会→武家社会→江戸時代、と
  時代に応じて変化してきた社会と怪談の関係をダイナミック
  に読み解く。「日本人なら知っておきたい武士道」「同・神
  道」「同・古代神話」の作者による、痛快なる「怪談評論」。

感想:昔話には「怖い話」が多いことは、洋の東西を問わない。
  だが何を怖がり、どういった「怖い話(怪談)」が流行する
  かは、時代と地域によって異なっていることは明らかだろう。
  本書では特に日本人の歴史と怪談のかかわりについて、平安
  貴族の時代における怪談の起こりから説き起こし、神道的世
  界観に基づく日本独特の「怪談観」を説明する。

  続いて古今東西の怪談話の基本的構造を分類した上で、どの
  ような話がどの時代に流行ったか、そしてそれが社会背景の
  変化とどのように関わっているのかを読み解いていく。そし
  て、そこにはどんな昔話にも共通する日本的倫理観が常に背
  景としてあり、それが他の文化(絵画や他の文学)にも影響
  を与えていることを、豊富な資料を交えて分かりやすく解説
  してくれる。

  筆者は何かにつけて「神道的モラルに基づく教訓」へ結論を
  持って行ってしまう傾向がありその点は少々偏りを感じるが、
  それでも大変面白い「妖怪本」であると思う。
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日本人なら知っておきたい古代神話

書名:日本人なら知っておきたい古代神話
著者:武光 誠(明治学院大学教授)
出版:河出夢新書
内容:朝廷の手で「古事記」「日本書紀」という二大書物にまと
  められた日本神話は、当時の政治的思惑によるバイアスも確
  かにあるものの、千数百年の長きに渡り語り継がれてきた
  「日本人の心の拠り所」であることは否定できない。そこに
  描かれた様々なエピソードから、日本人の心のルーツを読み
  取ることができる。奇想天外なエピソードからなる日本神話
  を楽しみつつ、「この国の原点と、大和民族の心」を読み取
  ろうとする、異色の評論。

感想:かりにも日本人であるならば、一度はアマテラスオオミカ
  ミの岩戸隠れとか、スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治
  の話とかいう日本神話のエピソードを聞いたことくらいはあ
  るだろう。だがそれらをまとめた日本神話の体系が何かとい
  ってもなかなか分かる人はいない(かく言う私も同様だ)。

  そもそも古事記・日本書紀とも、その内容は互いに矛盾する
  多くの異伝が並び、とうてい一環したストーリーとして読み
  解くことはできない。基本的に朝廷の支配を正当化すると言
  う目的のもと色々歴史的事実を歪めて盛り込んでいる面も否
  定できない。しかし全てのエピソードの根底には、世界の多
  様性を受入れ、命を尊び、労働を尊び、あるがまま穏やかに、
  大らかに生きることの大切さを謳う日本人の素朴な世界観が
  脈々と流れている。

  本書は、あまり知られていないイザナギ・イザナミ以前の造
  化三神(アメノミナカヌシノカミ、タカミムスヒノミコト、
  カミムスヒノミコト)から始まり、天孫降臨にいたるまでの
  主な神話エピソードを丁寧に紹介しつつ、そこから伺える
  日本的倫理観と、神道の形成について論じている。
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幻の終戦工作〜ピース・フィーラーズ1945夏

書名:幻の終戦工作〜ピース・フィーラーズ1945夏
著者:竹内修司
出版:文春新書
内容:太平洋戦争末期、当時日本外務省はソ連を通しての和平
  工作を主軸として動いていたが、米国を相手とする直接の
  和平工作ルートも数多く存在した。

  そのうち藤村・ダレスルートというのは割りと有名なのだ
  が、もうひとつ。国際決済銀行顧問ペル・ヤコブソンらに
  よる、水面下の和平工作が存在し、かなり緊密に日本の立
  場にも配慮した交渉が進められていたことは、あまり知ら
  れていない。

  本書は、スイスを舞台に行われた極秘工作の全貌を、新た
  に発掘されたヤコブソン自身の詳細な手記をもとに克明に
  再現する。

感想:1945年1月に入り、いよいよ太平洋戦争における日本の状
  況が絶望的なものとなった。当時日本外務省はソ連を通して
  の和平工作を主軸として動いていた。これがいかに愚かしい
  選択であったかはその後のソ連の不誠実極まる対応を見れば
  明らかだったが、それは別として米国を相手とする直接の
  和平工作ルートがあった。

  その仲でも最も実現の可能性が高かった、と筆者が主張する
  のが、国際決済銀行顧問ペル・ヤコブソンと、同銀行の北村
  理事、吉村為替部長によりスイスを舞台に行われた水面下の
  和平工作である。本書では、当事者であるヤコブソンが残し
  たほぼ1日単位での詳細な手記、米国に残る外交暗号通信の
  解読記録(日本の暗号はほぼ筒抜けだった。情報戦でここま
  でやられていたのでは、負けて当然である。)を交えて、こ
  の交渉の経緯を克明に再現している。

  これを見れば、「無条件降伏」という言葉の意味と「日本の
  国体護持」を巡ってかなり緊密に日本の立場にも配慮した交
  渉が進められていたことがよくわかる。だが周囲の様々な無
  理解・人間不信のため、ついにその交渉は実を結ばないまま
  本土各地は空襲に見舞われ、原爆は落とされ、ソ連の一方的
  参戦を招いた。

  歴史を学ぶにあたりIFは禁物だというが、この交渉を見る
  につけ「もしこの交渉をもっと日本政府が真面目に取り上げ
  ていたら!もし米国が今一歩踏み込んで交渉してくれていた
  ら!もしソ連を信用しすぎるという愚を犯さず、かの国の真
  意を見抜いていたら!」と思わずにはいられない。

  ところで、当時のソ連の不誠実な対応には、実は日露戦争で
  ロシアが味わった屈辱に対する怨念が影響していたのであろ
  うことは、想像に難くない。だがロシア側のあの敗戦は自業
  自得であり、日本に恨みを持つのはそもそも筋違いだ。

  やはり一日本人として、1945年のかの国の不誠実は、断じて
  許しがたい。
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時間の分子生物学

書名:時間の分子生物学〜時計と睡眠の遺伝子
著者:粂和彦
出版:講談社現代新書
内容:地球上のほぼ全ての生物には、24時間という周期で時を刻
  む能力が備えられている。これが生物時計である。24時間常
  時活動を続ける人間もまた、その支配を免れ得ない。遺伝子
  の仕組みが明らかとなり、生物時計の生化学的仕組みは20世
  紀末の数年でほぼ解明されたが、なお謎は数多く残されて
  いる。

  本書はその謎のひとつ「睡眠」について、遺伝子の機能との
  関係に関する最新研究成果を紹介しつつ、分かりやすく説く。

感想:生物時計について脳科学の見地から40分の1サイクルという
  細かな動作について紹介し、そこから意識とは何かについて
  哲学的考察にまで話題を広げているのが「脳の時計・ゲノム
  の時間」であるが、本書では1日単位の生物時間、いわゆる
  概日周期を話題の中心として、ショウジョウバエの研究結果
  などから明らかになってきた、遺伝子レベルでの生物時計の
  しくみについて説明している。

  そして、周期に関連して現代人の悩みの種である「睡眠」を
  巡る様々な謎を紹介し、特にその謎を解く突破口とも言える
  睡眠障害の症例「ナルコプレシー」について分かりやすく説
  いている。

  生化学的な見地から睡眠について考察した一般向け解説書と
  して、大変分かりやすい。それはさておき、やはり規則正し
  い時間に就寝するのは大事である。夜更かしはいけない、
  と改めて実感している(言行不一致もはなはだしいが)。
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2007年10月10日

あの戦争は何だったのか

書名:あの戦争は何だったのか〜大人のための歴史教科書
著者:保坂正康
出版:新潮新書
内容:戦後60年の間、太平洋戦争は様々に語られ、記されてきた。
  だが、本当にその全体像を明確に捉えたものがあったと言え
  るだろうか。旧日本軍の構造的問題から説き起こし、どうし
  て戦争を始めなければならなかったのか、引き起こした「真
  の黒幕」とは誰だったのか、その実態をいぶりだす。単純な
  善悪ニ元論を廃し、「あの戦争」を歴史の中に位置づける唯
  一無二の試み。

感想:太平洋戦争、あるいは大東亜戦争と呼ばれた戦争の原因と
  歴史上の意味を公平に評価するというのは、実は難しい。い
  わゆる東京裁判なる政治的イベントに基づいて喧伝された
  「侵略戦争観」が旧連合国側の極めて一方的な主張に過ぎな
  いことはもはや常識であるし、また一方で「アジアを開放す
  るために必死に戦った無垢な新興国大日本帝国」のような一
  部主張にもとうてい納得はしかねる。

  本書は、そういう偏見に満ちた主張を廃し、あの悲劇がどの
  ようにして起きたのか、どこに原因があったのかを日本の政
  策レベルから論じている。個人的には初耳であったいくつか
  の事実も紹介されており、大変興味深かった。その中でも印
  象的だったのは、「対米開戦の直接のきっかけとなったのは、
  従来の史観では開明的といわれていた海軍の、国防政策委員
  会の誘導によるところが大きい」という点だ。

  同委員会が開戦前「日本の石油備蓄は、このままでは2年も
  たない」というせっぱつまった報告をしているのは、実は充
  分な数字の根拠なしに主張したものだった。しかも本書によ
  れば、なんと当時ある民間交易会社(詳細は説明がない)が、
  海外で石油合弁会社を設立し、不足を解消しようとするプロ
  ジェクトがあったという。海軍の同委員会は圧力をかけてこ
  れをつぶしてしまったというのだ。

  なぜ海軍がそんなことをしたのか?本書では当時陸軍の活躍
  ばかりが目立っていたからとも、大艦巨砲主義の力に自信が
  あったからとも推定しているが、正直私にはよく分からなか
  った。

  このトピックがどれくらい事実に近いのかは不明である。だ
  が少なくとも、本書の主張として読める以下には同意できる。

  「統帥権を天皇にあり、とする大日本帝国憲法の規定がネッ
  クとなり、陸軍・海軍ともにその暴走を止める安全弁が働か
  なかった。」
  「日本は、国家戦略における戦争の位置づけを明確に意識し
  ていなかった。ゆえに本来なら極めて革新的な思想であった
  大東亜共栄圏構想が説得力を持ち得なかった。
  「戦争に突入するにしても、これをどのように収拾するかと
  いう現実的構想もなしに、ズルズルと問題解決を先送りに
  した。」

  これらの点については全く同感である。今なお、こうした国
  家戦略としての誤りを公的レベルできちんと統括し、国民的
  合意を得る努力もせず、ただ無定見に「日本は二度と戦争を
  起こさない」とのみ主張してきた日本政府は、未だ真の意味
  で戦後を統括していないとすら、言えるかもしれない。

  これではいかに大規模で多彩なODAの実績、積極的な平和
  外交などがあろうと、アジア各国からの充分な信用を得るこ
  とはできないし、日本の歴史に対する不当な偏見を払拭する
  ことなどできようはずがないと考える。
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2007年10月08日

哲学思考トレーニング

書名:哲学思考トレーニング
著者:伊勢田哲治
出版:ちくま新書
内容:宣伝文句より〜テツガク、なんて小難しいだけで、日常の
  現場では何の役にも立たないのではないか?否、それは工夫
  次第で志向のスキルアップに直結するものだ。本書では、分
  析哲学、科学哲学、懐疑主義、論理学、倫理学などの思考ツ
  ールを縦横無尽に使いこなす術を完全伝授!もっともらしい
  屁理屈や権威にだまされず、かといって不毛な疑いの泥沼に
  陥ることもなく、一歩ずつ筋道を立てて考え抜くコツが身に
  つく。すぐにも応用可能なノウハウを習得しながら、哲学的
  思考の真髄も味わうことのできる、一粒で二倍おいしい知の
  道具箱。

感想:権威や偏見に囚われることなく、いかにして人の考え方を
  理解し、自分の考えを明確化し、そしてそれを他者に理解さ
  せて知的コミュニケーションを成立させるか。そのために必
  要な思考方法を最も簡易な用語で表現すると、恐らくは「ク
  リティカル・シンキング」という哲学上の用語が最も適当だ
  ろう。

  本書ではこれを「情報の送り手と受け手双方の共同作業の中
  で、社会に共有される情報の質を少しでも高めていくための
  ものの考え方」と位置づけ、「最初の心構えをどうするか」
  「議論をいかに明確化するか」「様々な周辺の情況(文脈)
  に応じた対応」「様々な前提の建て方」「様々な推論とその
  適応上の留意点」について分かりやすく解説している。

  本書のおかげで、日ごろ知らず知らずのうちに心がけていた
  「生産的な議論をするうえでの心構え」について、理論的な
  裏づけをこの本から再確認することができた。世の中の一般
  に「頭が良い」ように見える人の中には、難しいことを難し
  いままでしか説明できず、その自覚もないため言いっぱなし
  になったまま、それでも自分では議論をした気になっている
  人が実に多い。もちろん、かく言う私自身もそうした部類に
  入りがちなのは承知している。

  せめて常に謙虚に自らの行いを振り返り、改めるべきは柔軟
  に改めることを恐れず、生産的コミュニケーションの実践を
  図っていくべく心がけていきたいものだ。

  なお、本書では「クリティカル・シンキング」のほんの一側
  面をハウツー的に説明したものでしかないとも言えるので、
  機会があったらさらに考えを深めておきたい。
posted by 半端者 at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 硬めの書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月06日

脳の時計、ゲノムの時計

書名:脳の時計、ゲノムの時計〜最先端の脳研究が拓く科学の新地平
著者:ロバート・ポラック/中村桂子・訳
出版:早川書房
内容:ものを感じ、意識し、覚えるといった脳の活動のメカニズ
  ム。今日、そこでは様々なリズムで時を刻む多くの種類の
  「体内時計」が重要な役割を果たしていることが分かってき
  た。これらの起源は、生命が誕生した数十億年前にまで遡る
  ことができる。

  はるかな昔に死滅した種のために作られた時計に動かされて
  いる我々の脳は、何を考え、何を目指すのだろうか?世界的
  に著名な分子生物学者が、最新の研究成果を紹介しつつ、脳
  と意識、生と死を現代科学がどう捉えていくべきか、その進
  むべき道を模索する。

感想:本書は2000年に訳書が出版された比較的古い本で、タイト
  ルのみ知りながら今まで読みそびれていた。タイトルと副題
  を見ると、まず疑問に感じるのは脳科学とゲノムのかかわり
  である。前者は確かに現在急速に研究の進む分野であり、本
  書では脳の働きについて常に実時間より概ね0.5秒の遅れ
  があり、また脳の情報処理サイクルが概ね40分の1秒程度
  であるがゆえにそれ以上短い時間は直接認識できないことを
  紹介している。しかし、それが生物種としての時間サイクル
  をつかさどるゲノムとの関係をどう説明しているのだろうか?

  著者は、脳に関する感覚・意識・記憶・無意識に関する研究
  を通し、「留めようのない時間の流れと、それによりもたら
  される死への恐怖」こそが科学の姿を決める重要な要素であ
  るとする。その上で、ウイルス感染やガンとの際限の無い闘
  いにおいて「死を否定する」立場から医学に取り組むことの
  問題点を指摘し、より高い見地から生と死を密接不可分なプ
  ロセスとしてみた上で真に幸せを与える科学の方向性を示唆
  しようとしている。

  しかし、これは訳者も指摘しているとおり、少々へ理屈くさ
  い面がある。前半の「脳にかかる時間概念」についての脳科
  学的・哲学的考察と、後半の医学哲学はそれぞれ別個には納
  得できるのだが、その関連付けにはいまひとつついていけな
  いものを感じた。でも、大変示唆にとんだ興味深い本である
  ことは間違いない。
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2007年10月01日

理科年表をおもしろくする本

書名:理科年表をおもしろくする本〜理科年表読本
著者:宇野正宏・建畠朔弥・福士示・山縣朋彦
出版:丸善
内容:理科年表は、その内容さえ分かればとても面白いデータブ
  ックであるが、ただ漫然と見ただけではごちゃごちゃした数
  字の羅列に過ぎない。本書はその理科年表への「入門」を希
  望する方たちのため、様々な科学的テーマを拾い出し、実例
  と理科年表の内容を交えながら、今日とかくブラックボック
  スになりがちな科学の面白さをダイナミックに語る。

感想:科学的思考様式を重んじる人間にとって、バイブルに相当
  するものといったら「理科年表」をおいて他にはないだろう。
  科学者たちが何世紀にも渡り築き上げ、幾多の検証を潜り抜
  けてきた科学的知識に基づく客観的な事実を体系的に、具体
  的なデータとして整理してある理科年表は、オフィシャルな
  自然科学の集大成といえよう。

  しかしみかけは細かい数値の羅列であり、その意味すること
  を利用するのはもちろん、その一部でもきちんと理解するの
  は至難の技だ。本書はその、理科年表に並ぶ数表の意味が高
  校生程度にも理解できるよう分かりやすく説いている。本当
  はちゃんと手元に理科年表をおいて参照しながら(実際、要
  所要所で参照すべき理科年表の項目も明示しているのがすご
  い)読むのが効果的だろうとは思うが、結局流し読みしてし
  まったのは考えてみるともったいない。

  参考までに、目次の一部を紹介しておこう。どんな話が盛り
  込まれているかは、実際に読む時のお楽しみ。

  〇自転車ダイナモとエネルギー変換
  〇錆びるからこそ役に立つ鉄
  〇大きなことと小さなこと、大きな数と小さな数
  〇吸盤で大気圧を測る
  〇原子スペクトルで銀河の速さを知る
  〇ダヴィンチの「最後の晩餐」と運動星団

  などなど・・・
posted by 半端者 at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 硬めの書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

だます心 だまされる心

書名:だます心 だまされる心
著者:安斎育郎
出版:岩波書店
内容:「だまし」には大きな魅力がある。巧みな手品や小説、だ
  まし絵などは存分に楽しめる。しかしその魅力にのめりこん
  で、悪徳商法の被害など、危ういところへ連れて行かれるこ
  とも多い。さまざまな「だまし」のテクニックや狙いを紹介
  しながら、「だまされ」への道は何か、だまされないために
  はどんな姿勢が必要なのかを解説する。
 (以上、本書の帯より)
感想:著者の安斎氏は、大学時代に奇術サークルで活躍し、工学
  博士として大学で教鞭をとる傍ら「ジャパン・スケプティク
  ス」の会長を務めている。このスケプティクスとは「懐疑論
  者」という意味で、その会は「いわゆる超自然現象といわれ
  るものを批判的・科学的に究明する」ことを趣旨としている。
  そういう姿勢で人間の認識力を見た場合、人間がいかに簡単
  に「だまされ」の道に入ってしまうものなのかがよく分かる。

  本書では、古今東西の様々なオカルト的エピソード・手品の
  現象・詐欺事件などを例に取りながら、巧妙なだましの狙い
  ・テクニックを説明している。そしてマジックで楽しくだま
  される、というのとは違ういわゆる「悪意のだまし」をどう
  見分けるべきかについて、その心構え・姿勢について解説し
  ている。
posted by 半端者 at 23:08| Comment(1) | TrackBack(0) | 硬めの書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月27日

量子進化〜脳と進化の謎

書名:量子進化〜脳と進化の謎を量子力学が解く!
著者:ジョンジョー・マクファデン/斉藤成也監訳、
  十河和代・十河誠治訳
出版:共立出版
内容:細菌で見つかった適応変異や多剤耐性という現象は、自分に有利
  な変異を「選択」しているように見える。つまり、後天的経験が進
  化の方向性まで決定しているかのように見えるのだが、一方で獲得
  形質が遺伝するというラマルク流進化論は否定され、現在修正され
  たダーウィン進化論が定説とされている。この問題点については現
  代も充分な説明がないまま論争額続いている。

  本書では、細胞の世界に量子力学の原理をあてはめることによりい
  かにしてこの問題によい説明ができるかを説く。さらに、その考え
  方は生命誕生の謎・進化の原理・さらには意識なるものの起源にま
  で適用できるのではないか、と大胆な仮説を展開している。

感想:ロジャー・ペンローズは、量子重力場理論とかツイスター理論とか
  言われるものを確立した大天才物理学者なのだが、また一方で人間
  の意識というものは、神経細胞内にある「マイクロチューブル」な
  る構造の中で生じる「量子力学的な状態の重ね合わせ」と、その収
  縮によって生じる量子的な現象である、という限りなく「とんでも」
  的な仮説を唱えている人でもある。本書のタイトルを読むと、まさ
  にその直系の香りがただよう「と」系本としか思えない。

  しかし読み進めると、ペンローズよりはずっと慎重に仮説と証拠の
  提示の繰り返しを行い、このとほうもない仮説へ向けて丁寧に読者
  を案内してくれる。本書の序盤1章〜6章は生命をつかさどる様々
  な物質サイクル・遺伝子のしくみについて概観し、分子レベルでの
  生命現象を見る上で量子力学が必須であることを諭す。

  続いて7章〜9章において、古典物理的世界観を覆す量子力学の奇怪
  な特質につき、それ専門の書に負けないほど丁寧かつ詳細に解説を
  行っている。(ここだけでも一読の価値がある。)

  それを踏まえていよいよ本書の核心へ。10章では生命誕生における
  自己複製物質の発生が単純にランダムな反応の繰り返しでは確率的
  に不可能であるという事実を踏まえ、驚くべき仮説を提示する。

  即ち、非生命分子の、量子レベルでの重ね合わせが環境からの観測
  (量子測定)により選択的に壊され、自己複製する物質へと選択的
  に変化していった(量子力学の多世界解釈といってもいい)という
  のだ。そうしてできた物質のサイクルが自己組織化した結果、生命
  の誕生につながったと。

  11章ではさらに、現在の生物細胞内においても量子測定による選択
  的変化が生じており、それが適応変異の原動力だと説く。12章では
  これを用いて進化のしくみに関する数々の疑問をも解く。

  13章ではついには、生命の本質が量子的重ね合わせとその収縮にあ
  り、意識の原理もまたこれである、というペンローズの「と」の世
  界にたどりつく。ペンローズ自身の主張する「意識のありかはニュ
  ーロンの中にある微小管である」というのには「微小管内で収束し
  ない量子的重ね合わせ状態が維持されるとは考えにくい」と退けて
  はいるが、代わりに筆者は電磁気的現象としての脳波(意識的電磁
  場)がこれにあたるという仮説に基づき論じている。

  正直、これもまたかなり論拠を整えるのに骨が折れそうな、「と」
  に近い仮説である。しかし本書はやはり、凡百の疑似科学本などと
  は全く違う、興味深い仮説に満ちた本だと思う。

  「意識する」とか「環境が選択する」といった表現の使い方に、筆
  者自身この説のあやうさをよく理解しながら慎重に論じているのが
  よくわかる。大変エキサイティングな一冊であった。
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詭弁論理学

書名:詭弁論理学
著者:野崎昭弘
出版:中公新書
内容:人はしばしば強弁・詭弁の類に悩まされてきた。だが知的な観察
  によってその正体を見極めることができれば、言い負かし術には強
  くならなくとも、詭弁術に立ち向かうための頭の訓練になる。そし
  て、議論を楽しむ「ゆとり」も生まれてくる。

  本書は、ルイスキャロルのパズルや死刑囚のパラドックスなど論理
  パズルの名品、ギリシャの哲人による思索の粋、はては寅さんの口
  上までも題材に、強弁術・詭弁術の様々な手法と論理の遊びをじっ
  くり味わうことをテーマとした、「愉快な論理学の本」の古典。
感想:本書は1976年に初版が出て以来、今年2月にとうとう52版
  を数えた超ロングセラーである。このことは詭弁・強弁に悩む人が
  いかに多いのかを示している。今まで私が読んでいなかったことも
  不思議と言えば不思議だが・・・

  まあともかく、本書では有名な問題「鏡に写る像はなぜ左右が逆に
  なるのに上下が逆にならないのか」とか、「予測できない日に死刑
  を執行することができないパラドックス」とかについて、大変分か
  りやすく説明がされている。

  古典的3段論法の何たるかから分かりやすく説き起こすところから
  始めており、論理学のイロハを知る上で今なお格好の書であると言
  えるだろう。個人的には特に、死刑囚のパラドックスが結局は命令
  そのものが自己言及パラドックスを含んでいることを説明している
  ところが大変よく理解できた。
#死刑囚のパラドックスとは?
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2006年08月10日

若き日の思い出〜数学者への道

以下の書評を書いたのは昨年9月である。残念ながら同氏は2006年6月、逝去されたとのこと。ここに謹んでご冥福をお祈りする次第である。

書名:若き日の思い出〜数学者への道
著者:彌永昌吉
出版:岩波書店
内容:彌永昌吉。少なくとも日本において、この人の名前を知らない数学
  関係者はもぐりである。1906年東京本郷に生まれ東京大学数学科を卒
  業。類体論と呼ばれる数学の一分野を築き上げた日本最初の世界的数
  学者、高木貞治の門弟として日本数学界の基礎を築き上げた、当年数
  えで百歳を迎えながら今なお健在の大数学者である。

  本書は、氏が百歳を期に執筆された半生記であり、氏のざっくばらん
  な人となりが伺えるだけでなく、まさに日本数学界の発展史が一望
  できる、貴重な一冊。

感想:今年(2005年)は彌永先生の白寿(99歳、数えで100歳)を祝う年
  であり、本書はその記念として出版された。基本的に日本経済新聞
  の裏面に掲載されている「私の履歴書」と同様なものだと思えばよ
  い。当時の彌永家の間取りであるとか、ドイツ留学時の話など、明治
  末から大正、昭和初期にかけて日本が比較的穏やかであった時期の世
  相が読み取れる。歴史的な文献としても貴重だ。

  また巻末には氏の専門である類体論の解説などもあり、さほど厚い本
  ではないものの歯ごたえのある一冊である。
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2006年06月05日

フェルマーの最終定理(サイモン・ジン著)

フェルマーの最終定理ものを、もう一冊。


書名:フェルマーの最終定理〜ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで
著者:サイモン・ジン
出版:新潮社
内容:前記アグゼルのベストセラーと同様、「x^n+y^n=z^nは、nが
  2より大きいとき自然数解をもたない」という17世紀の数学者フェルマー
  が主張した伝説的命題についての解決までのドラマを、名だたる数学者たち
  の挙げた数え切れないほどの知的成果とからめ、より詳細に、かつダイナミ
  ックに描く。

  原著刊行は1997年、ワイルスの最終的な論文が提出された1995年の2年後、
  アグゼルによる同じテーマでの本の後で、BBCのドキュメンタリー番組制作に
  あわせて執筆されたものである。

感想:前述の本の著者アグゼルが数学を専攻しており、専門は統計学であった。
  これに対しサイモン・ジンは、素粒子物理学を専門とする物理学者である。
  このためか、この世紀の難問に伴い派生した数学発展の歴史につき、物理学
  における大統一理論とのアナロジーとして谷山・志村予想を記述していると
  ころに個性がある。

  あらすじのエッセンスのみ取り出すと、フェルマーの最終定理を示す際のポ
  イントは、当初は全く関係の無い数学の一分野としてそれぞれ独自に発展し
  てきた楕円方程式の理論と、モジュラー形式と呼ばれるものについての理論
  が、本質的に一対一対応するという谷山・志村予想にある。このように数学は、
  多くの理論の間を統一するという大きな流れで発展してきたともいえるので、
  この見方は適切だと思う。
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天才数学者たちが挑んだ最大の難問

ちょっと古い本だが、内容の豊富さの割にはすっきりと読める。著者は、以前紹介した量子力学のからみあいに関する本「量子のからみあう宇宙」と同じである。



書名:天才数学者たちが挑んだ最大の難問〜フェルマーの最終定理が解けるまで
著者:アミール・D・アグゼル
出版:ハヤカワ文庫
内容:「x^n+y^n=z^nは、nが2より大きいとき自然数解をもたない」
  17世紀の数学者フェルマーが主張したこの単純な命題は、300年もの間数学
  者たちを魅了し続けてきた。この問題が証明されるまでの壮大な知のドラマ
  を、これに関わった古今東西の数学者達の群像とからめて生き生きと描く。
  原書刊行は1996年。
感想:その表面上の単純さとは裏腹に、その問題は数学の最も高度にして美しい
  理論を持って初めて解くことのできる、超絶の難問であった。本書は、この
  問題をきっかけとして生まれたともいうべき壮大な数学理論の誕生と発展の
  有様を、数多くの数学者たちの姿とも絡めてダイナミックに語った、アグゼ
  ル氏によるベストセラーである。

  ワイルスの証明成功が報じられた当初はあまり注目されていなかった、解決
  へ向けての重要なマイルストーンである谷山・志村予想のこともきっちりと
  紹介しており、その名誉回復に貢献している点はうれしい。ただ、その結果
  としてヴェイユやセールをある意味悪役的な位置づけで(即ち、谷山・志村
  予想についての重要性を軽視し続けたとして)紹介してしまっていることは、
  少々色眼鏡的な面がある。
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2006年05月24日

銃・病原菌・鉄

書名:銃・病原菌・鉄(上/下)
著者:ジャレド・ダイアモンド/倉骨彰・訳
出版:草思社
内容:紹介文より〜ヨーロッパ、アジア、アフリカ、南北アメリカ、オー
  ストラリア。それぞれの地で人類は極めて多様な社会を作り上げてき
  た。高度な工業化社会もあれば、伝統的な農耕牧畜生活を営む人々も
  いる。数千年に渡って狩猟採取生活を続ける人々もいる。なぜ人類社
  会はこれほど異なった発展の道筋をたどったのか。世界の地域間の格
  差を生み出したものの正体とは何か。

  この壮大な謎を、13,000年前からの人類史をたどりつつ、分子生物学
  や進化生物学、生物地理学、考古学、文化人類学など最新の研究成果
  をもとに解き明かしていく。・・・1998年度ピューリッツァー賞
  一般ノンフィクション部門、同年度「花の万博」記念「コスモス国際
  賞」を受賞した、人類文明発展の秘密に迫る傑作。

感想:1972年、著者ジャレド・ダイアモンドは専門である進化生物学のた
  めのフィールドワークをニューギニアで行っていた。そのとき現地の
  政治家「ヤリ」と親しく交流することがあり、彼はヤリより次の疑問
  を投げかけられた。「白人は、たくさんのものをニューギニアに持ち
  込んだが、ニューギニアには自分たちのもとといえるものがほとんど
  ない。なぜか?」

  ほとんどの白人文明圏に属する人々は、公式にはともかく無意識の底
  流に、その差に生物学的差異が影響しているという先入観を持ってい
  ることを、ジャレドは否定しない。その上で彼はこれを「おぞましい
  だけでなく科学的に間違っている」、と証拠を挙げてきっぱり否定す
  る。本書ではその上で、「ポリネシア諸島において異なる文化に分か
  れた部族間が衝突した例」「征服者ピサロによるインカ帝国の征服と
  大虐殺」「東西古代文明の発達と変遷の事実」など様々な事象につき、
  その根本原因をたどっていく。

  そして、究極的には文明の差異は「陸塊の形状、気候の違い、労働力
  の補完となりえる大型動物の分布、食料となる動植物の分布、病原菌
  の分布、資源として利用できる地下資源等の分布」などの環境要因が
  もたらしたものであると主張している。図を参照のこと。
文明多様化要因の因果関係2.JPG
  全体は4部構成に別れ、まず第一部で究極原因へ遡る道を概略でたど
  って枠組みを構成し、第二部でもっとも重要な究極要因である地理的
  ・生物的要因について詳しく考察する。

  第三部ではこれら要因から文明の差異へつながる因果の鎖を詳細にた
  どり、その過程で病原菌分布・文字の発生と様々な技術の伝播につい
  て考察する。最後に第四部で、世界の各大陸・島々の歴史をこれら考
  察でどのように説明できるか、考察している。

  著者は自らの考察について、あまりに広範囲の人類史について取り上
  げているがゆえの考察の不十分さもまた認めている。実際日本語の、
  特に文字に関する考察(漢字が「日本語を現すには問題がある文字
  である」というコメント)などいまひとつ勘違いではないかと思われ
  る描写もある。充分な証拠を集めるのは至難の業であるし、また社会
  現象である以上再検証は困難である。

  しかしこうした視点は今後の歴史観に大きな影響を与えていることは
  間違いないと思う。(その続編ともいうべき「文明崩壊」も秀逸!)

 「数量化革命」「失われた文明」そして本書「銃・病原菌・鉄」を紹介
  することで、くしくも私の文明観に関する基本的な考え方をまとめる
  ことができたのは、書評を書き始めて以来の痛快な体験である。
posted by 半端者 at 02:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 硬めの書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

失われた発見

書名:失われた発見〜バビロンからマヤ文明にいたる近代科学の源泉
著者:ディック・テレシ/林大・訳
出版:大月書店
内容:ヨーロッパに端を発した所謂帝国主義に力を与えた源泉のひとつ
  に、西洋科学の膨大な成果があることは異論の余地はない。しかし
  ガリレオ・ニュートンらに端を発する物理学・数学・化学など数量
  化・定量化・精密な分類と体系を持つ西洋科学・西洋技術に匹敵す
  るものは、果たして本当に西洋文明圏のみで生まれたものなのだろ
  うか。

  もう少し限定して、ヨーロッパ、ギリシャ、コロンブス以降の北ア
  メリカの非先住民族文化(これらを総称して「西洋文化」と呼ぶ)
  以外の非西洋文化には、これに匹敵する科学と呼べるものはないの
  だろうか。従来、そのようなものの存在は信じられておらず、また
  筆者自身もむしろ否定的証拠を求めて調査を行った。にも関わらず、
  いわゆる非西洋文化圏において、古代ギリシャに匹敵する、それど
  ころかしばしばそれをしのぐ、古代と中世の非西洋科学の例を次々
  と見つけるに至った。

  本書はエジプト・メソポタミア・インド・中国・メソアメリカといっ
  た地域の文明における数学・物理・天文学・地質学といった様々な
  分野における成果を紹介し、人類文明史が想像をはるかに超えて多
  様であることをダイナミックに語る。

感想:例えば数学の歴史においてその源流をたどるとき、通常我々はギ
  リシャの賢人たちを思い浮かべることが多い。それ以外ではインド
  においてゼロの概念が生まれたことをわずかに評価する声があるく
  らいで、古代中国・インド・またイスラムにおける数学の歴史につ
  き、充分な評価が与えられているとは言いがたい。

  本書では、例えばピタゴラス数についてバビロニア人は相当程度理
  論的に考察していた可能性を指摘する。また無理数の概念につきイ
  ンド圏の数学者が既に到達していたと見て良いとの証拠も挙げてい
  る。(明らかに、ある長さの比率が整数の比に表せないことをはっ
  きり説明しているということだ。)その他中国の算木を用いた連立
  一次方程式、物理学の、例えば光学に関する古代中国やイスラム圏
  での理論的考察、メソアメリカにおける薬物に関する高度な知見、
  イスラム圏における無機化学上の様々な成果など、その内容の豊富
  さは驚くほどだ。

(8/24補足:古代から中世にかけてのインドにおける数学に関する記載の大方は、イギリス・マンチェスター大学の数学教授ジョージ・Gh・ジョゼフによるところが大きい。彼によれば、1881年インド北西部で発見された文献「バクシャーリー写本」は少なくとも5世紀頃にまで遡る古代インドの数学的成果を知ることのできる重要な文献である。当初不完全な翻訳によりその価値は不当に貶められていたが、再評価されるべきであると。同様な主張を日本の研究家、林隆夫もしているとのこと。また、15世紀のインドの数学者Nilakanthaの著作には、次のようなびっくりするような記載がある。「なぜ(円周の)近似値のみがここで示されるのか、説明しよう。それは、本当の値が得られないからだ。ある測定単位で余りを出さずに直径を測れば、同じ単位で円周を測ると、余りが出てしまう。同様に、余りを出さずに円周を測れる単位で直径を測ると余りが出てしまう。したがって、同じ単位で、余りを出さずに両方を測ることはできない。いくらがんばっても、余りを小さくすることができるだけで、’余りのない’状態を実現することはできない。これが問題なのだ。」孫引きの引用なわけだが、もしこの通りの記載であるとすれば、少なくとも従来の非西洋世界における数学の評価はかなり不当に低かった、と考えざるを得ない。もちろん、検証は必要だが・・・)

  本書はこういった個別のトピックを通して、いわゆる非西洋文化圏
  においても、その 依って立つ環境に応じた文化的特徴の相違はあ
  るものの、間違いなく科学的思考というべき論理的な考察の跡とそ
  の成果が立派に存在することを教えてくれる。科学の歴史は、旧来
  のヨーロッパ中心主義的な世界観などより、実ははるかに多様で、
  エキサイティングなのだ。本書と、前に紹介した「数量化革命」を
  読んでいるうちに、以前読んだ印象的な文明史の本をまた読み返し
  たくなった。

  少し間が空くが、それも後ほど書評を書いておきたい。タイトル
  は、「銃・病原菌・鉄」である。
posted by 半端者 at 01:42| Comment(0) | TrackBack(1) | 硬めの書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

数量化革命

書名:数量化革命〜ヨーロッパ覇権をもたらした世界観の誕生
著者:アルフレッド・W・クロスビー/小沢千重子・訳
出版:紀伊国屋書店
内容:ヨーロッパに端を発した所謂帝国主義は、自由民主主義の衣をまと
  いつつも、人類の歴史の中で最も成功を納めてきた覇権的思想である
  ことは間違いない。それが全地球に広がる広大な勢力圏を持つように
  なった、その力の源泉はどこにあるのか。

  著者クロスビーはこの問題をライフワークとして研究してきたが、本
  書ではその原因のひとつとして「事物を数量化して考える」という思
  考の枠組みがあると説き、この考えをパントメトリー(pantometry)
  汎測量術と呼ぶ。

  そして、「時間の計測」が始められたそもそものきっかけから歴史を
  説き起こし、暦や測量技術の発達から均質な時間・均質な空間という
  概念に到達するまでの歴史を追う。合わせてそこから発展した数学を
  始めとする様々な知見が、様々な科学・芸術・音楽の発展をうながす
  ありさま、そして現代文明の基礎が生み出される様子をダイナミック
  に語る。

感想:著者は、計測するということの発展を、技術そのものの発展史と言
  う視点ではなく、技術が人間の思想にどのような影響を与えつつ変化
  してきたか、という観点から「汎測量術」なる言葉を使っている。そ
  してその発展以前の定性的・思弁的な世界観を「敬うべき世界」、数
  量化が思想と密接不可分に結びつき、中世ごろから急速に育ってきた
  世界観を「新しき世界像」と呼び、その移り変わりの意義について詳
  しく論じている。

  本書を読むと、今日の我々が議論するまでもなく自明に感じている
  「均質な時空間」「測定によって結び付けられる現実と数量」という
  考えの枠組みが成立するまでに、いかに多くの人たちの努力があった
  かがよくわかる。また、数量化と計算の技術が発達したきっかけの重
  要なひとつが商取引と貨幣経済の発達であることも、様々な面から詳
  しく語られている。貨幣経済の数量化技術の粋といえる、「簿記」の
  発生について一章を割いて説明し、それが文明にもたらした効果がい
  かに大きかったかを論じているのも、印象深い。

  しかし、もちろん内容を無批判に読むべきではない。実際、これは数
  量化ということにより捨象された見方もあることを意味する。ここで
  は「敬うべき世界観」なる言い方をしているなかに、本来失うべきで
  なかった多面的な見方が含まれているのではないか。

  今日ますます顕在化しつつあるアメリカ一極主義に対するアンチテー
  ゼを、我々は忘れてはならない。

  それから、もうひとつ。数量的な扱いの基礎となる数学的概念の大半
  は、決して西洋文明が源泉となるものではない。ゼロの概念を正しく
  理解し発明したのはインド人であるし、これを生かして記数法のデフ
  ァクトスタンダードを確立したのはアラビア人である。

  また詳細は別の本の書評に譲るが、ギリシャ哲学の専売特許のように
  言われている論理的思考と証明という概念の大半は、紀元前1500年ご
  ろのインドの文献にも見ることができるという。
(8/24訂正:正しくは、紀元後5世紀ごろのインドの数学者、Aryabhataによる文献のこと。)

  証明概念うんぬんの話は、従来の常識からかなりかけはなれているこ
  ともあり、ちゃんと裏を取る必要があるかもしれないが、とにかく一
  方の見解に偏らぬよう常に配慮すべきだろう。
posted by 半端者 at 01:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 硬めの書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月18日

キューブサット物語

書名:キューブサット物語〜超小型手作り衛星、宇宙へ
著者:川島レイ
出版:エクスナレッジ
内容:2003年6月30日、ロシアのプレセツクにあるロケット射出場から、
  1機のロケットが打ち上げられた。そこには、東京大学・東京工業
  大学の学生たちがゼロから開発した手作りの人工衛星が載せられて
  いた。

  一辺わずか10センチの立方体に過ぎないが、そこには学生たちや彼
  らを支えた大人たちの智恵と技術、そしてあふれんばかりの夢と希
  望がつまっていた。これは3年半にわたるプロジェクトにおける、
  彼らの奮闘の記録である。

感想:1999年9月11日、この日アメリカ・ネバダ州の砂漠で、ジュース缶
  サイズの人工衛星による、打ち上げ実証実験が行われた。わずか地上
  4キロメートル程度までの飛行でデータ受信実験を行っただけであっ
  たが、世界の誰もが、そんな小さな人工衛星を学生が打ち上げられる
  とは、考えもしなかった。

  これを実現させた東京大学中須賀研究室と、東工大松永研究室の面々
  が次に取り組んだプロジェクトこそ、「一辺10センチの立方体大の人
  工衛星」だった。小さいサイズに太陽電池・各種センサー・カメラま
  で備えた本格的な観測衛星というのは、まさに世界初の試み。宇宙と
  いう過酷な環境において立派に動作する衛星の開発には多くの困難が
  立ちふさがる。部品の調達ひとつから手探りが続き、続発するトラブ
  ル、厳しい予算、スケジュール管理に追われる毎日。その苦労の全て
  が報われる日がついにやってくる。

  衛星からの正常動作を示すデータ通信が宇宙より届いたとき、学生た
  ちは「体中の細胞という細胞から涙が出る」のを感じた。読み手にも、
  その感動がありありと伝わってくる、ひさびさに感動したノンフィク
  ションであった。
posted by 半端者 at 01:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 硬めの書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「悪魔のサイクル」へ挑む〜

書名:「悪魔のサイクル」へ挑む〜人類は80年で滅亡するU
著者:西澤潤一、上野イサオ
出版:東洋経済新報社
内容:地球が温暖化している。このことは世界中で人々の常識となって
  いる。そしてその温暖化の原因が大気中二酸化炭素濃度の増加にあ
  ると言う点もよく知られている。しかし、その二酸化炭素濃度の増
  加がもたらすもっとも恐ろしいシナリオは、それにとどまらない。
  本書は、二酸化炭素の増加により「何が本当に起ころうとしている
  のか」について、極めて科学的に推理している。それによれば、全
  地球的な炭素サイクルは動作不全を起こしており、このまま人間が
  現在のような消費優先型文明を続けていく限り、極めて近い将来、
  80年後には大気の二酸化炭素濃度は3%に達し、全地球の生命は
  存続できなくなるという。これを踏まえて、人類が持続的発展を保
  ちつついかにして自然な炭素サイクルの再構築に関与していくべき
  か、文明論的観点から論じている。
感想:「人類は80年で滅亡するU」「地球にはCO2を急増させる仕掛
  けが隠されていた!」「悪魔のサイクルが起動しようとしている」
  といったあおり文句は実にショッキングであり、一見したところい
  ささか破滅妄想にとりつかれているかのようだ。しかし、二酸化炭
  素の大量放出に対する危機意識が単なる気温上昇、だけのレベルで
  とらえるべきものではないという点については大変よく理解できた。

  本書の提示する二酸化炭素濃度増加の定量的シナリオについて、無
  批判に受け入れることは避けたい。しかし炭素資源の安全なリサイ
  クルを実現するための様々な提言(メタンハイドレードを安全に制
  御するための技術開発など)や、環境の維持と資源の利用、そして
  経済発展を両立させたいという意気込みについては大いに共感する。

  そのために人間が動作不全を起こしている炭素サイクルシステムを
  立て直すために智恵をしぼるべきであるという点に異存はない。

  ただ本書の後半は少々理念が先行し過ぎており、俗に言う「とんで
  も本」系に偏りかけているように感じてしまう。
posted by 半端者 at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 硬めの書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月17日

「坂の上の雲」に隠された歴史の真実

書名:「坂の上の雲」に隠された歴史の真実〜明治と昭和の虚像と実像
著者:福井雄三
出版:主婦の友社
内容:司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」は超ベストセラーであり、国民文
  学といっても良い作品である。この小説が日本国民の精神に及ぼし
  た影響は計り知れぬほど大きいと思われる。それは他の司馬文学と
  あわせ、日本人の心に勇気と誇りを与えてくれた作品であり、これ
  らから「司馬史観」という言葉も生まれた。

  筆者は以上を認めたうえで、小説である以上史実の捉え方において
  問題点があることを指摘しなければならないとする。本書では、司
  馬史観の功罪について触れ、それを契機に戦後60年経った現在の時
  点で、戦後のすりこみ教育や偏見に毒されない曇りない歴史認識を
  提示したい。

感想:「坂の上の雲」におけるひとつの特徴に、旅順攻防戦における乃
  木将軍への厳しい評価がある。武人としての人格こそ高く評価され
  ているものの、203高地という戦略上の要衝を軽視し続けたがゆ
  えにいたずらに犠牲を増やしてしまった愚将であると。

  本書は、その描き方を司馬遼太郎のストーリーテラーとしての想像
  力が片方に偏りすぎたがゆえの一方的な見方であり、「詳細に分析
  すれば的外れである」と主張している。

  無謀な肉弾攻撃というのは実際には強襲法と呼ばれる、砲兵の火力
  制圧と歩兵突撃の2段階からなる極めて近代的手法であったし、そ
  れが失敗に終わった後の戦術もかなり多彩に行っている。要塞を放
  置してでも旅順港内の戦艦を撃沈してしまえば、あとは奉天へ異動
  してもよいというのは暴論であって、何が何でも旅順を陥落させる
  必要はあった。

  乃木はむしろ、過酷な条件下でも決して動揺することなく将兵をし
  っかりとまとめ続けた類まれな指導力を発揮していたのだ。児玉が
  一時的に指揮をとったあとただちに203高地を取ることができたの
  も、その後の旅順攻略がすんなり行ったのも、結局前段の犠牲あっ
  たればこそ。本書ではこのように述べ、乃木がダメで児玉が良いと
  いったいたずらに勝敗の原因を善悪ニ元論的に単純化してしまうこ
  との危険性を指摘している。

  筆者はこのようなスタンスで、ドイツの第一次世界大戦敗戦の後の
  ヒトラー登場とユダヤ人大迫害について、ヒトラーおよびナチスの
  みを悪玉として断罪することも批判の対象とする。当時のドイツに
  おける「ドイツの敗戦は国内のユダヤ勢力の裏切りのせいだ」とす
  る一面的な世論(それは当時のヨーロッパにおける根強い偏見から
  のものといえよう)が、ひいてはあのホロコーストの元凶となった
  点を指摘する。

  さらには筆者は、ノモンハン事件を描いた半藤一利氏の「ノモンハ
  ンの夏」についても取り上げている。一般に同事件は日本陸軍がソ
  連の機械化戦車部隊により惨敗を喫した戦いとされており、まさに
  「ノモンハンの夏」でもそうしたスタンスで描き昭和における日本
  陸軍の無能さを強調している。

  しかし、これも筆者によれば、ソ連崩壊にともない明らかとなった
  資料によれば実は戦争としては大勝利といってもいい(実に10倍の
  戦力を相手に奮戦し、全滅することなく持ちこたえた)という。敗
  北したのはむしろ、ひとえに平和外交に徹しようとした外交戦略が
  却って裏目に出て、外交で敗れた形になったのだと。

  筆者は以上の例を踏まえ、昭和初頭の日本をいたずらに暗黒時代と
  みなすのを自虐史観と称して(#)批判するのだが、ここまで見解が異
  なるともはや、専門の歴史家ではない私にはどちらが妥当な主張な
  のか、確言できそうにない。例え単純なことでも、歴史を客観的に
  評価することの難しさをつくづく思い知らされた。

(#)この用語を好んで使っているところからして、有名な「つくる会」系の人なのだろうか・・・
 だからといって逆方向からの偏見でこの本を読むべきでない。一つの貴重な意見として受け止める
 べきだ。
posted by 半端者 at 11:41| Comment(0) | TrackBack(2) | 硬めの書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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